廃業した2代目クリーニング屋の奮闘記 (27)

リニューアルの最後は店名変更です。

「はりまやさんて、高知県の出身ですか?」
たまに聞かれる質問です。
馬道家に高知県出身者はいないので、「違いますよ」と答えます。

そう言う質問を聞き、なんで「はりまや」という屋号にしたのか疑問が湧いてきたので、父親に聞いてみました。

父親がクリーニングをする前は、電気関係のサラリーマンをしていたらしいですが、家が貧乏百姓だったので学歴が低く、後輩たちにドンドン追い抜かれていき出世は無理だと感じたらしいです。大所帯の長男だったので家族を養っていくには無理だと思い、何でもいいから商売をしたいといつも考えていたらしいです。商売なら自分の努力しだいで生活を安定させる事ができると考えていたみたいです。

そんな時、自宅の横でクリーニング店をしていた方が廃業して田舎に帰られたらしいです。
商売をしたいと考えていた父親は、そのお店をそのまま引き継いてクリーニングを始めました。そのお店の屋号が「はりまや」だったのでそのまま屋号も引き継いだみたいです。父親が33才で僕が3才の時です。

何かの思いや考えぬいた屋号ではありませんでした。そのクリーニング屋さんがどうして「はりまや」と付けたのかも分かりません。
その話を聞いたときに、リニューアルに合わせ心機一転変えたいという思いが、僕に湧いてきました。父親も了承してくれました。

そこで新しい店名を考えました。目標にしていた神戸のクリーニング店さんみたいに、ハイカラなカタカナの店名にしたいと思い辞書を引っ張り出して(グーグルはまだありません)いろいろ調べました。
店名が決まり、店名にあったロゴを研修で親しくなった友人に頼むことにしました。その友人はデザイン関係の仕事をしていました。
頼むにあたって事前の打ち合わせで、この店名を選んだ理由や仕事に対する取り組みや思いを伝えました。

しばらくして、ロゴが出来たと言う連絡が有り、楽しみにして待ち合わせ場所に出かけました。そして、彼から意外な答えと提案がありました。

それは、僕が新しく決めた店名が僕の考えや思いに合わない、「はりまや」の方が良いんじゃないかと言う提案で、「はりまや」でロゴを考えてきたので見てくれという事です。
僕は、申し訳ないが「はりまや」と言うのは野暮ったい感じがしていたのと、高知県とは関係ないのにヒモ付けられるのが嫌でした。自信を持って名乗りたかったんです。
しかし、彼が考えてくれたロゴを見て、また、このデザインにした理由を説明してくれたのを聞き、「はりまや」で行こうと決めました。父親より先にしていた方、父がしてきた「はりまや」は一旦終わり、ここから、僕の「はりまや」を作って行こうと思いました。文字は一緒でも中身は違います。

その後、

歌舞伎に、播磨屋という屋号があります。最初に名乗った方は大阪出身らしいです。歌舞伎は、日本固有の演劇で、伝統芸能のひとつです。重要無形文化財になっています。それにあやかりたいと思い、名付けました。

と、説明します。

この時、僕はすでに37才になっていました。父親から4年遅れです。

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