廃業した2代目クリーニング屋の奮闘記 (33)
数人で始まった勉強会でしたが、時間が経つにつれてメンバーがドンドン増えていきました。
数年経つと全国から何十社も参加するという大きなグループになっていきました。
メンバーが増える事はそれだけトヨタ式に取り組む方が増える事で、それはその会社にとっても業界にとってもいい事だと思っていたので、新しいメンバーの工場立ち上げ工事にボランティアで全国を回っていました。
メンバーが増える事はそれだけトヨタ式に取り組む方が増える事で、それはその会社にとっても業界にとってもいい事だと思っていたので、新しいメンバーの工場立ち上げ工事にボランティアで全国を回っていました。
いつの間にかトヨタ式を広めることが自分の生きがいみたいに感じるようになっていました。トヨタ式を導入された会社の業績が良くなり、トヨタ式をして良かったと思って貰うことが僕の何よりの喜びでした。
でも、この後のグループの運営の仕方にだんだん疑問を持つようになりました。
大変お世話になったグループですのでこれ以上は申し上げませんが、私的な問題も重なり、途中で脱退する事になり、メンバーの方とも一部の方を除き連絡もしなくなりました。
この後は、また、昔のように一人でコツコツと改善と検証しながら、廃業に向かうことになります。
話は、福岡のクリーニング店さんを見学し、多能工の作業と会社の管理手法に魅せられた頃に戻ります。
そちらの社長に、はりまやも多能工で作業が出来るようなレイアウトの変更と一部機械の入替えを相談しました。そちらの社長はファイトの機械の代理店もされていたので、新品と倉庫にあった中古の機械を入れることにしました。
仕上げは楽になっていましたが、作業の流れに問題のあったバサラを靜止乾燥機と使うようにして、中古の人体(スチームドール)2台とトッパー、新品のシャツ人体(8345)を購入しました。
同時に工場前で受付をしていたのを、少し離れた生活道路に直営店としてオープンしました。
そして、別棟でしていたワイシャツ作業を、ドライをしているラインに移動しました。
多能工化する事で、ドライラインが3人から2人でも出来るよになりました。
要するにムダが無くなり生産性が上がりました。