廃業した2代目クリーニング屋の奮闘記 (40)
いろいろ考えた結果、60歳で辞めようと設定しました。

子供たちは、就職していたので僕達夫婦には時間とお金の余裕が出来ていました。
仕事が終わると嫁と居酒屋で食事をしながら今後のプランを練っていました。
どういう形ではりまやを終わらせるのか?
仕事を辞めてからどうするのか?
老後資金はどうするのか?

60歳でやめると決めた一番大きな理由はもちろん後継者問題ですが、その次は工場の老築化と設備類がどこまで持ってくれるかということです。
工場は雨漏りが始まっていて、3件の工務店さんに修理をお願いしたんですが、原因を突き止めることができませんでした。阪神大震災の時、モルタルの外壁がヒビ割れしたのを修復せず、サイディングボードで覆っただけだったみたいです。サイディングボードが劣化しどこかのヒビ割れから漏れているんじゃないかと言う事らしいです。雨漏れを治す為には外壁を一からやり直さなければならず、かなりの費用がかかる事になっていました。

辞めると決めた以上、設備投資はしたくありません。今ある物がどれぐらい保つか考えれば良く持って10年ぐらいかなと思ったからでした。

老後資金も貯めないといけませんので、設備投資はしない、求人もしないで人の補充はしない、その時その時の現状に合わせ、やり繰りしながら何とか10年ぐらいもたそうと決めました。

そして、従業員さん達にそのことを伝えました。従業員さん達も、生活がかかっていると思うので、悪いけどそれまでにどうするか決めて欲しいとお願いしました。早々に辞められる方もおられましたが、最後まで付き合ってくれると言ってくれた方もおられました。
有り難い話です。

少しづつ人が減っていくので、
それに対応する為、週一の定休日を作ったり、当日仕上げを止め翌日夕方仕上げ以降に変更したりしました。

そして、一年後には売上の少ない店舗を閉店、また次の年にもう一店舗を閉店。残ったのは、一番売上が良かった店舗、そして外交です。
規模が縮小していくのは想定内ですし、リスクも少なくなるので問題では無かったんですが、次に辞めるのはどちらにするか、大変悩みました。
売上が良かったのは店舗の方です、でも外交を残せば店舗より経費もかからないし、融通も効くし、細々と長く出来るかなと思ったからです。

最後まで悩み抜いて外交を辞めて、店舗の方を残す事にしました。
それは、辞めると決めた当初は考えてなかったんですが、規模を縮小していくと「これは一点流しが出来るやん」と、思い始めたんです。
一点流しの現場を見て、僕がトヨタ式を始めるきっかけとなり、それを目標にしてきました。
いつの間にか忘れていたんですけど、それがよみがえってきました。
もちろん、外交を残しても出来るんですが、外交を残せば僕一人で全ての仕事をしなくてはいけなくなります。それが面倒くさくて工場の作業に集中したかったんです。
それだけの理由で外交を辞めて、店舗の方を残す事にしました。
そして、念願の一点流しを自分一人で出来るようになり、クリーニング作業の「ムダ」を追求しながら、自分の思い通りに作業が出来る幸せな時間を過ごせるようになりました。
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